霊能者 スピリチュアルカウンセラー 加藤眞澄 かとうますみ 精神世界について 龍神の話 神話 風水 龍脈 神社 宇宙の気

霊能者 加藤眞澄 ホーム 霊能者 加藤眞澄  
心のベクトル  
精神世界について スピリチュアルカウンセリング  
ご相談・料金について Q&A お問い合わせ 加藤眞澄 プロフィール  

精神世界について 龍神の話

 この数千年の間に、未知への驚異や精神的に未発達だった部分を補うためにも宗教という概念が人の心身を守ってきてくれました(かなり行き過ぎた宗教もありますが・・・・・)。多々ある宗教ですが、似たような神話は日本にも外国にもあります。龍神、ドラゴンなどは似たような姿でなく、ほとんど同じ姿で表わされています。

 風水では龍脈が重んじられています。通常龍の姿が描かれているのを目にすると、力強さを感じられたり、また怖さや威圧感を覚えるかも知れません。龍神系と言われる神社にもご縁があり、随分お参りに伺うことがありました。それとは別に龍神を祀っていると言われていない所でも、龍神がいると表現せざるを得ない感覚になることもあります。確かに霊的に感じ取ることができるし、龍神のビジョンが浮かび上がることもあります。
   
 
 未来永劫龍神様信仰を続けていかなければならないとしたら、いまは良くても進化はできません。「崇りだ」「神様祀りだ」などとがんじがらめに精神を縛りつけることになります。だからといって今日から信仰もしないでおろそかにしてもいいということではありません。古きものは常に新しいものに知恵を残してくれていますから、守っていかなくてはならないことと、それを基にした知恵と心の変化を望んでいます。

精神世界について 先ほどの内容に戻りますと、龍神と感じられるようなその場所が、風水で言えば大自然の「気」「龍脈」のようなパワーを有しているのです。神社があるわけでもないけれども、スゴく勢いが感じられる所もあります。それらに遭遇して心身の五感を超えた感性が、私たちの持つ概念と同調したときに、龍神の姿として感じ取ることになるのです。強烈な自然が発する、静かで巨大なエネルギーの動的な流れが龍という姿に現されてきたのです。黒龍も白龍も描かれますが、これもまた自然の有するプラスマイナスの違いと共存を創造しているのです。

 龍神に関して、原始の恐竜時代にいたものが大先祖として龍の気として残っているのかとも考えてもみました、むろん否定どころか肯定できるのですが、何かが違うのです。むしろ彼ら(恐竜は)自然にあまりにも従順に育ち進化した結果、あのような姿に変化したのです。荒唐無稽なことかも知れませんが、進化にも意識は大きく働きかけているのです。

  信仰的な意味では龍神様がいられるくらいのパワーがあるという神社もあります。 信仰ですべてが受け入れられることもあります。信仰だけでも疑問が出てくることもあります。

 実際、有名なある神社へ参拝に行ったときに、龍神の姿が何度も出てきたことがありました。神社でお祀りしているものを拝見する限りでは、特別に龍神様をお祀りしているわけではないので、ここの眷属として守っているのかという考えでおさめておこうと、それほど気にしてはいませんでした。ところが、後日土地に詳しいご老人に伺ってみると、その神社の山の峰を越えたところに、いまではほとんどの人がわからないけれど小さな石があり、それが龍神様と言われていたのだということを聞きました。

  もともとは山の気が龍とされてきていて、石が置かれていた場所は「気のツボ」でもあるのでしょう。そういう気が満ちている所の近くに神社が建てられます。 とてつもない大きな気の流れが生きているのだということをあらわすために龍という存在が使われてきたのだと思います。

精神世界について  大宇宙の銀河系の一部にある太陽・地球と・・・・。果てしなく続く宇宙の気ともいうべき様子を龍神という高次元に生きるもののごとくあらわされ、ときに恐れ崇めて、未知の不安も含めてはいるものの多大なパワーを秘めていることも認識されたうえで信仰されてきたのでしょう。龍気とあらわすとしたら、おそらく宇宙全体に存在するでしょうし、それほどのパワーを備えていることになります。

 ただ時代を超えて現代のように進歩してきますと、宇宙のことを恐れることなく知ることが必要な時代に変わっていかなければなりません。何々の神という名称で捉えることから、「宇宙の気」として捉えて行かなければならないと思います。神性がそれぞれの人に芽生え始めてきたときに、ものの見方も捉え方も大きく変わり始めるはずだからです。

  ある相談者の方によると自宅から見える山の一つが公園にされるために木が伐採され、土を削られていく準備がされていたそうですが、その山を夕暮れに眺めていると、大きな龍の姿をしたものが隣の山に飛んでいったのを確かに見たそうです。公園にするために整地が始まる頃に山の持つ大きな「気」が動いたのでしょう。自然の持つ「気」は敏感に反応するのだとも言えます。

(スピリチュアルカウンセラー・加藤眞澄)
     
 
スピリチュアルカウンセラー 加藤眞澄